今日は滋賀県内の北国街道ウオークの仕上げの日。
午後2時頃から長浜を起点に歩き始め、あちこちに色々と寄り道をしながらでしたが暗くなるまでに鳥居本に到着し、私が今回歩こうと計画していた「北国街道ウオーク」は無事に終了。
とりあえず今回で一区切りついた「(滋賀県内の)北国街道ウオーク」では、木之本や長浜を初め奥琵琶湖の魅力を存分に楽しむことができました。
本日のウオーキング歩数、34,499歩。
2008年1月26日(土)
京都駅着。
これまでの琵琶湖一周ウオークや北国街道ウオークでは、時刻を調べなくて京都駅に来てもいずれもすんなりと新快速に乗れていました。
しか〜し。
この日は米原行きの普通電車が米原まで先着。(;一_一)
仕方なく米原行き普通電車に乗車。
途中から雪がちらほら見えてきましたが、安土あたりで車窓から見る風景に雪がかなり多くなってきました。
安土辺りの積雪が最も多く、ここを過ぎ更に北上すると雪は増えるどころか逆に減っていきました。
JR北陸本線・長浜駅に到着。
駅構内にはきれいに花が咲いた盆梅が。
梅花をズーム。
長浜の散策開始。
長浜城の堀跡。
北国街道へ。
お土産を買おうかと思ったんですが、今日はリュックを持たずウエストポーチだけの軽装。
これから開始する街道ウオークで、ずっと手に荷物を持つのは嫌なので断念。
またの機会に買おうと思います。
「昆布」「淡水魚の佃煮」「地酒」などが欲しいなあ・・・・・。
地酒は木之本のものがいいなっと!
「うだつ」が上がっている家。
今日の昼食は、前から食べたかった長浜ラーメン。
店内へ。
じゃ〜ん!
基本料金が450円で、チャーシューが入ると550円。
私は大盛りを注文したので650円になりました。
細麺に豚骨スープ、そして紅ショウガが乗っています。
どうやらこのラーメンはご当地長浜の「長浜ラーメン」ではなく、九州博多の長浜ラーメンのようです。
食事を終え長浜の散策再開。
昭和初期に建てられたと思われる建築様式の建物。
無人のようなので観察すると、壁に大きな亀裂が入っていました。
強度に問題があるようなので、このままではこの建物はおそらく使われることはない感じでした。
とってもいい雰囲気。
大通寺表参道へ。
かわいいキツネ。(#^.^#)
でも何でキツネなんだろう・・・・・??
ばったさんに教えてもらって私も見つけたこの怪しげな像。
何だかとても気になります。
像の台座をよく見ると「お花きつね」と刻んであります。
ちょうど地元の人らしい方が散歩しておられたので、この像のことを尋ねてみました。
するとありがたいことに、その方は知っておられて教えてもらうことができました。
大通寺が舞台の「おはなぎつね」という伝承話があり、それにちなんで表参道ではキツネがモチーフになっているんだそうです。
この像もその伝承にちなんだものなんだとか。
なるほど。
像の横には「ながはま御坊 表参道」の石碑が。
こんな感じです。
表参道入り口脇の金屋公園。
公園内のモニュメント。
先ほどの「お花ぎつね」の像といい、長浜には芸術性に富んだもの(なんでしょうね 私の感性ではあまりよく分かりません)がいくつもあるようです。
再び北国街道へ。
「札の辻」から見る長浜大手門通り。
素敵な雰囲気の北国街道を南進。
ここにも長浜城外堀跡が。
少しだけ北国街道を外れます。
地ビールが飲めるお店。
飲みたいけれど経費節減のため「忍」です。
代わりに唾をゴクンと。(^_^;)
長浜鉄道スクエア。
現在開催中の「鉄道・昭和のキオク展」を見たいのですが、残念ながら今日は時間がありません。
建物を外から眺めるだけにします。
盆梅展が開催されている慶雲館。
土曜日なのに人はかなり少なめでした。
盆梅展会場をのぞいた後、北国街道に戻ります。
地酒の立ち飲みどころがありました。
大学生らしい数名の若者と、これまたおそらく大学ゼミの教授らしき年配の男性がいました。
大学や大学の勉強のことらしきことを声高に談笑しながら、おいしそうに地酒を飲んでいました。
いいですねえ。(#^.^#)
地ビールの長浜浪漫ビールが飲める店近く。
船板張りの蔵が建ち並んでいます。
北国街道沿いには多くのお寺があります。
そしてそのほとんどは真宗大谷派。
稲荷神社前へ。
神社と町名の説明。
雄大な伊吹山を見ながらの北国街道ウオーク。
最高!
長浜からたどってきた北国街道は ここで北陸本線をくぐり、ここから先は線路の西側を歩くことになります。
良畴寺(りょうちゅうじ)着。
「びわこ大仏」。
小さく見えますが、高さは28メートルもあります。
平成7年完成のこの大仏は2代目で、初代大仏は昭和12年に建てられましたが老朽化のため建て替えられたのです。
北国街道を旅人が行きかっていた時代には、この大仏は存在していなかったのです。
保存樹「さいかち」。
この辺りの下坂浜は、昔は「浜村」あるいは「さいかち浜」と呼ばれていました。
「さいかち」の樹はこの辺りから彦根付近まで数多く植えられていましたが、あまり見かけない珍しい樹なので街道を行く旅人の目を楽しませていたそうです。
織田信長の天下統一を妨げようとする浅井長政が信長と激しく対立した時代のこと。
湖北10ヶ寺の真宗門徒は、厚い信仰心で団結した一向一揆の勢力として大きな力を持っていました。
1571年に本願寺の指令により浅井側についた真宗門徒達は、戦のプロである軍勢を向こうにまわしての戦いを始めます。
しかし、数こそ多かったものの戦の素人である門徒達は信長方の秀吉軍勢などに次第に打ち破られ、敵対した門徒達の皆殺しを画策する秀吉の軍勢に対しジリジリと後退し ついには今浜(今の長浜)へ向けて敗走し始めました。
秀吉は自軍の一部を先まわりさせ、今浜への退路を寸断。
逃げ道を失った門徒達は、ここ「さいかち浜」で最後の戦いを挑みますが完膚なまでに敗れ、戦いでかろうじて生き残った人々は信長の軍勢に追われて次々に湖の中に飛び込みました。
そして一部を除き、多くの人達が力尽きて冷たい湖底へと沈んでいったのです。
そんな彼らの心意気に触れ、そして悲しい歴史を知ることができたのは今回のウオークのおかげ。
この樹を見ていると、「過去の歴史の一コマのひとつ」とは私には決して思えません。
なぜか真宗門徒の人々の息遣いが感じられるような、そんな気さえしてくるのです。
今回のウオークがきっかけとなって紐解いた歴史で「石山本願寺」という言葉を知り、大阪城の中にあるというその「石山本願寺」の跡地にも行くなど更に当時の歴史に触れてみたい気持ちが強くわいてきました。
「さいかち浜」の戦いの悲劇もつぶさに見てきたであろう伊吹山。
長浜新川を渡ります。
ここまでの北国街道は湖岸の道路ではなくずっと旧道。
橋を渡った後は見通しの悪い道路を横断しなくてはなりません。
気をつけて慎重に横断。
橋を渡った後、左前方に見える道を通って北陸本線の踏み切りを横断。
路傍の石仏が漂わす旧街道の雰囲気。
石造旧北国街道々標。
道標の説明。
ずっと進んで行くと県道556号線に突き当たりました。
ここから先は556号線を歩くことになります。
県道556号線からは伊吹山の姿がとてもよく見えます。
県道556号線は旧国道8号線なのですが、いたってのどか。
田村神社着。
急ぐので中には入らず鳥居から参拝。
時おり雪が舞う空のもとですが快適に歩けます。
伊吹山をずっと眺めながら歩くという至福の時間が過ぎていきます。
長沢城内堀跡発見。
宇賀野へ。
坂田駅前通過。
ま、まだこんな所だとは。(>_<)
北国街道の石碑。
飯(いい)に入りました。
路傍の地蔵様。
地蔵の横には飯村川の川越の説明。
読んでみると、飯の渡しは本当に良心的だったんだなって思えます。
北陸自動車道の高架下を通過。
岩脇西交差点通過。
米原着。
前方に新幹線の高架が見えてきました。
高架をくぐります。
今度はJR東海道本線の高架下を通ります。
直進して行くと車は通行できなくなります。
途中でJRの基地があったので少しだけ中をのぞくと、列車から激しく警笛が鳴りライトでパッシングされてしまいました。
ど、どもです。(@_@;)
更に進むとJR東海道本線のもうひとつの線路を再び越えることになります。
今度はくぐるのではなく、上を橋で通過。
橋を渡って左折。
50メートルほど先の右側にガソリンスタンドがあるのでそこを右折。
米原高等学校方面へ向かいます。
さくらが丘です。
これが何だか分かりますか?
実はこれは住宅案内図。
とってもかわいい標識。
米原高校の手前で右折しこの道へ。
交差点にはこんな道標が。
深坂。
その深坂の説明板。
秋葉神社前通過。
「米原宿」と書いてありました。
今歩いている道はどうやら「花の小道」。
北陸道中山道分岐点道標がある場所。
石造の道標。
子ども歌舞伎ってすごい迫力があって本格的な歌舞伎だと聞いたことがあります。
歩を進めます。
雪がバサッと落ちてきました。
米原は完全に無雪ではなく屋根には雪が残っています。
軒下を無警戒に歩いていたら、頭上からこのように落ちてくる雪を頭からかぶってしまいます。
気をつけないと。
国道8号線へ。
ほんの少しだけ国道8号線を歩き再び左側の旧道へ。
この旧道が北国街道なのです。
気温は1℃。
梅ヶ原通過。
1キロメートル弱ほど歩き再び国道8号線へ。
彦根市へ。
継続中の琵琶湖一周でも米原〜彦根間を歩きましたが、その時には新幹線の線路の西側を歩きました。
今回の北国街道ウオークは新幹線の東側。
近江鉄道フジテック前駅へ到着。
駅をのぞいてみました。
完全無人で切符の券売機もありません。
更に歩いてこんな石碑前通過。
北国街道と中山道との分岐点です。
ここは北国街道の南の起点なのです。
鳥居本に近づきました。
国道8号線を離れてここを左折。
「右中山道」と刻まれた石碑。
こんなものが。
とっても興味をひかれる像。
「中山道松並木」の文字が。
当時の風景を再現したと思われる松並木。
かなり歴史のありそうな薬が売られています。
もう鳥居本に入ったようです。
薬局の前に丸ポストが。
現役のポストです。
鳥居本宿について。
旧街道で合羽を売っていた店跡の家。
ここを通り越してドンドン進んで鳥居本の交差点を更に越えてずっと進んだんですが、何もありません。
家の外に出ておられた方に本陣の場所を尋ねると「とっくに通り過ぎていますわ。」と言って親切に教えてくださいました。
教えてもたらった通りにUターンして本陣跡に到着。
すると先ほど道を教えてくださった人が車で追いかけてきて、車の窓から本陣跡の説明を色々としてくださいました。
鳥居本本陣は合計201帖もある広い屋敷でしたが、1937年にヴォーリズの設計によって和風洋館に建て替えられました。
新しい建物は和風様式を取り入れたヴォーリズ独特の建築様式です。
写真を撮っていると家の方が出てこられましたので「済みません。写真を撮らせていただいています。」と言うと「どうぞどうぞ。」との返答が。
先ほどの方が車の中から、「母屋横の倉庫の門は当時の本陣のものですよ。」と教えてくださったので写真を撮りました。
教えてもらわなかったら絶対にこの写真は写さなかったことだろうと思います。
北国街道と中山道の分岐点が分からなかったのですが、それも先ほど道を教えてくださった方が車の中から「はよせんと暗くなるから、よかったら連れて行ったげる。」と言ってくださったんですが、申し訳ないので辞退。
鳥居本の駅を目指します。
国道8号線の鳥居本の交差点。
近江鉄道・鳥居本駅。
道路を隔てた向かい側に何と!
「サンライズ出版」があるではありませんか。
私が今回の北国街道ウオークで購入し参考にしている「北国街道と脇往還」という本を出版している会社です。
地元の出版社だったんですね。
夜を迎えた鉄路。
無人駅ですが暖を取るための待合所があります。
特に暖房などはしていないようですが、それでも待合室内は結構暖か。
彦根まで近江鉄道で行くことに。
駅舎内に貼られた手書き風案内地図。
そろそろ電車が来る時間。
列車到着。
ワンマンカーです。
彦根着。
電車を下りて写真を写したんですが、運転士さんの姿がありません。
よく見ると運転士さんは「上でガタゴト何か音がする。」と言いながら、車体上部を点検中でした。(@_@;)
一人で何でもこなす運転士さんでした。
JRのホームへ。
JRのホームからは、今乗ってきた近江鉄道の列車がとってもよく見えています。
夜の彦根駅。
今回計画した余呉から南の北国街道ウオークは、今回で無事に終了。
このウオークでは奥琵琶湖と旧街道の魅力を強く実感。
しばらくは奥琵琶湖の旧街道ウオークを続けようと思います。
奥琵琶湖の自然と文化・歴史は本当に興味深いです。
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