今日は、京都のシダレザクラの花見ウオーク。
春真っ只中の素晴らしい京都を満喫しました。


本日のウオーキング歩数、47,667歩。


2008年4月5日
(土)



JR奈良線の先頭車両に陣取り 一路京都駅へ!



京都駅着。
八条口から出て京都駅舎を眺めます。



八条口から出たのはここでラーメンを食べるため。
でもかなりの行列。
時間を無駄にしたくないので諦めてウオーク開始。



八条近くの鴨川右岸へ。



新幹線通過。



右岸を北上開始。



実に爽やか。



家族連れやお年寄り、それに車椅子の人なども含め、みんなの〜んびりと歩いています。
京都駅至近にこんな場所があるってことがとっても嬉しいです。



七条大橋で鴨川左岸へ。
少し北上すると素晴らしい紅シダレザクラの花が!



水中を見て驚きました。
魚が何百メートルにも帯状になってじっとしています。



車道横の歩道から川沿いの遊歩道へ。



サギがの〜んびり。



以下どうぞ鴨川左岸沿いの素晴らしいシダレザクラをお楽しみください。
























四条小橋に近づいてきました。



四条小橋東詰めにある出雲の阿国像。



阿国像の説明。
きりりとした男装の阿国の踊りはきっと素晴らしかったことでしょうね。



更に北上。






ボロニア・ヘテロフィラの花でしょうか。
この春に購入して我が家に植えた木によく似ています。















三条大橋を渡り鴨川右岸へ。
池田屋騒動の時についた可能性がある擬宝珠(ぎぼし)が三条大橋にあるとの説明が。



これがその擬宝珠。



ズーム。



こちらは三条大橋西詰め(鴨川右岸)に立つ道中安全祈願の弥次喜多像。



高瀬川の美しい流れを越えます。



「地獄地蔵」がある矢田寺へ。
「地獄地蔵」という恐ろしげな名前は以下のような言い伝えによります。
昔、大和の国に、幼少の頃から緑の山野をかけめぐり狩猟の得意な青年がいました。
ある時、優しかった青年の父が急な病で急逝。
母は継父を迎えたが、この継父は意地悪である上に極めて乱暴で、ことあるごとに青年に辛くあたりをいじめ続けました。
耐えに耐えていたがとうとう我慢できなくなった青年は、継父を殺害し、元のように母といっしょの幸せな家庭を取り戻すことを決意。
未明、青年は狩猟具を手にして父母のいる部屋へ乱入。
一撃で父を討ち、それを確認してみると、なんと青年が討ったのは憎んでいた継父ではありませんでした。倒れていたのは優しかった母親だったのです。
継父は青年の様子から夜討ちを見抜き母を一人寝室に残して逃げてしまい、部屋には何も知らない母親だけが寝ていました。
青年は精神的に大きな傷を負い程なく病死してしまいます。
死後、青年が地獄へ落ちる寸前で不思議なことに地蔵が現れ、青年を現世に蘇させます。
その地蔵さまは地獄地蔵あるいは生身(なまみ)地蔵と呼ばれ、ここ矢田寺の御本尊なのです。



この地蔵様は以下のような経過で矢田寺に置かれたとか。
満慶上人という僧が地獄の閻魔大王に地獄に招かれ菩薩戒を授けた際、地獄で一人の僧侶が黙々と地獄の責めを受けているのを目撃。
その理由を問うと、世の人々の苦しみの身代わりをしているとの返事。
心を打たれた上人は現世に戻ってからその僧の姿を刻んだ地蔵を彫り矢田寺に安置。
ちなみに。
満慶上人は菩薩戒を授けたお礼に閻魔大王から小箱をもらいました。
その小箱には米が入っていましたが、米を出した分だけまたすぐに増える不思議な箱だったのです。
ゆえに、満慶上人は「満米上人」とも呼ばれました。
不思議の都・京都を実感します。



矢田寺の説明。



矢田寺を後にして北進。
本能寺前通過。
本能寺は油小路に建立された後、繰り返し移転。
四条西洞院にあった時に「本能寺の変」がありました。
本能寺の変の10年後に秀吉の手により現在の寺町御池に移されたとされます。



霊石(深草少将腰掛け石)を祭神とする法霊寺(菊野大明神)へ。



河原町二条という賑やかな場所にありながら、少しだけ路地の奥に庫裏がありその庫裏を抜けた場所の祠は静寂に包まれていました。
ここ菊野大明神は悪縁を切ることができるということで有名。
私がお参りした時にも男性がひとり祈願していました。
祈願は水を供え灯明をあ げ、社殿をぐるぐる回って祈るというもの。
御神体は、小野小町に恋した深草少将が百夜通いした際に腰掛けて休んだ石。
あと一夜で思いがかなうというのに果せぬまま少尉は亡くなっしまい、その無念さが石に宿っていて男女を別れさすとされます。
「病気を絶つ」ということを願って、あるいは悪縁を絶つ=良縁を結ぶということで良縁を願っての参拝者もあるようですが、大多数は男女の縁を切りたい人のようです。
男と女・・・・・・・。



菊野大明神を後にして「一之船入」へ
ここ
一之船入は京都市役所至近。
都心にこんな場所があるのが京都なのです。



再び鴨川沿いへ。
鴨川から離れ冷泉通りを東進。



夷川(疎水)発電所着。
この発電所は1914年に完成。
1890年の琵琶湖疎水疎水完成に伴い日本初の産業用水力発電所である蹴上発電所が完成。
その後の第二疎水建設に伴い、下流の墨染発電所と同時期に建設されました。



100年の時を刻んでも今なお現役で発電を続ける夷川水力発電所。



平安神宮の至近にある夷側発電所ですが、水流の雰囲気は深山幽谷の雰囲気が漂います。



夷川発電所沿いの遊歩道。
レンガ造りの建築物が今も残っています。



夷川発電所の「ダム湖」。
琵琶湖から流れてきた水を満々とたたえています。



更に東進。
疎水を十石舟が通過していきます。



水に桜の花。
実に素敵。



平安神宮の大鳥居が見えてきました。



まさに京都の風景。



十石舟乗り場に舟が戻ってきました。



巨大な輝きの像
平安京以来1000年の間、日本の中心として栄えてきた京都は、東京遷都以降に産業が衰え人口も急減。
衰退する一方だった京都の復興を目的として建設されたのが琵琶湖疎水。
そんな琵琶湖疎水の完成の喜びをこの像は表しています。



像の説明。
琵琶湖疎水完成により工業用水源が確保され、それと同時に安定した発電も可能になりました。
疎水を利用した水運も盛んになり、衰える一方だった京都は疎水完成を機に次第に蘇り始めたのです。



南禅寺へ。
観光客の数は驚くほど多いものの、紅葉の時期とは異なり桜の風景はあまり大したものではありませんでした。



南禅寺をあとに。
境内をショートカットコースで北進。



永観堂幼稚園着。
永観堂も紅葉の時期とは異なり桜の花は期待したほどではありませんでした。



哲学の道へ。
哲学の道の桜の花も期待外れ。
でもこうした国際的な風景がとっても楽しかったです。



哲学の道沿いに咲くアマリリスの花。



様々な花で艶やかな哲学の道。



ズーム。









間もなく哲学の道の最北端。



哲学の道の北端を越え、疎水沿いを更に北上。



まさに春爛漫の風景。






疎水沿いから離れ白川通北大路通りへ。
北大路通りを西進。



高野川に至り、高野川左岸を南進。



下鴨神社境内にある河合神社へ。
河合神社には鴨長明の方丈を復元したものが設置されています。



河合神社の説明。



みたらし団子は、ここ下鴨神社境内にあった「加茂みたらし茶屋」が発祥だとされています。
境内にある御手洗池(みたらしのいけ)の水が地底から湧く際に出る水泡を模してできたのがみたらし団子だとか。



境内の船形の手水。



手水。



下鴨神社をあとにして京都御所へ。
京都御所北にある児童公園横の素晴らしいシダレザクラ。






シダレザクラを満喫して御所内を南進。
桃園へ。



桃園では桃の花が花盛り。



御所内に稲荷社が。
御所の中に稲荷社があることは知りませんでした。
花山稲荷です。



境内へ。



境内の風景。



御所をあとにして次の目的地である「班女塚(はんじづか」を探しに室町高辻へ。
まず繁盛神社を見つけました。
繁盛神社は班女神社あるいは半女神社とも称していました。



班女にちなんだと思われますがで、この辺りの地名は「繁昌町」。



少し探して班女塚を見つけました。
この塚に関しては「宇治拾遺物語」の「長門前司の娘、葬送のとき本の処に帰る事」と題した話に詳しく書かれています。
「今は昔 長門前司といふける人の 女二人ありけるが 妹は人の妻にてありける。
 妹はいとわかくて 宮仕へぞしけるが 後は家に居たりけり。
 わざとありつきたる男もなくて・・・・」という文で続きます。
要約すると結構怖くて不思議な内容。
そして拾遺物語に記されている場所がまさにここ高辻室町なのです。
興味ある方は、ネットで「班女塚」と「宇治拾遺物語」の二つの言葉で検索してみてください。
観光京都とはまた違った京都の顔が見えてくるはず。



班女塚の横には繁昌神社の倉庫が。
室町高辻という賑やかな街の一角にポツリと静かなゾーンがありました。



班女塚の後にある班女石。
この近くを独身女性が通ると結婚できなくなるなどと言われています。
しか〜し!
この班女石は路地沿いにあり、その路地は仏光寺通りと高辻通りとを結んでいるのです。
だから、私が石を見ている時も若い女性が結構通っていました。
カツカツカツとハイヒールの音を響かる20才程の女性が、あるいは自転車に乗った中学生や高校生の女生徒が。
「お嬢さん達、大丈夫?」などと心の中で少し心配しましたが、おそらく大丈夫なんだろうなって思います。



班女石付近には様々な物が。
其の壱。



班女石付近には様々な物が。
其の弐。



班女石付近には様々な物が。
其の参。



班女塚をあとにして五条通まで南進。
命婦稲荷(みょうびいなり)社へお参り。



命婦稲荷社には鉄輪(かなわ)の井があります。
命婦稲荷社より、古典の中でも最も怖い話だとされる「鉄輪」の名前の方が有名。
鉄輪の井戸がある場所へ行くためには、このような戸口をくぐることになります。
戸口の内側は人が生活するプライベートゾーンですので参拝には静粛さが要求されます。



命婦稲荷社。
鉄輪の井戸とは直接の関係はありません。



命婦稲荷社と鉄輪の井戸との関係は「チャリ旅」の過去レポで詳しく書いてありますので詳しくは書きません。
でも、ここ命婦稲荷と鉄輪との関係はとっても興味深いものです。



鉄輪に関連すると思われるもの。



鉄輪の女が身投げしたともされる井戸。
この井戸の水を悪縁の相手に飲ませると縁が切れるとされています。
ただ京都市地下鉄の建設で井戸水が枯れてしまい、最近では井戸の近くにペットボトルを置いて井戸水の代用にされています。写真にも1本のペットボトルが井戸の上に置いてあるのが写っています。
嗚呼、男と女。



命婦人稲荷境内に湧く名水。



鉄輪の井をあとに。



京都タワーが見えてきました。



五条通から京都駅へ向かって歩いている途中にあった幼稚園にこんなものが。
写真では分かりにくいですがかなり大きいものです。



京都駅着。



不思議と歴史と近代が混在する京都。
近代的な京都タワーを見上げてホッとひと息。
高さが131mの京都タワー。
海がない京都市街地にあって、灯台のイメージで建設された京都初の高層建築物。
意外ですがタワーの躯体には一切鉄骨を使われておらず、厚さ12mm〜22mmの特殊鋼板シリンダーを溶接でつなぎ合わせた円筒型の塔身が京都タワーなのです。






雅と不思議が混在する京都。
京都はある意味において、日本に住む人々が共有できる時空を越えた永遠の都なのかもしれません。


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