春真っ只中の京都府南部。花が咲き乱れる季節です。
今日は夕刻に「八幡の真髄に迫る」第1弾として、洞ヶ峠を探索しました。


2008年4月14日(月)




前日までの雨が上がりました。
当然ですが自転車通勤。
快調にペタルを踏みながら国道1号線東側の久御山町の田園風景を眺めます。



午前中の勤務を終え昼休み。
職場の八重桜が咲き始めているのを見ます。



ズーム。



ツツジも咲き始めました。



きれいなアネモネの花!
赤い色がとっても鮮やか。



寒かった冬を耐えて春を迎えた豆の苗。
一気に育ち、そして今日は午後から花を2つ咲かせました。



昼休みを終え午後からの仕事に。
午後の勤務時間終了。勤務時間は終わりましたが急ぎの仕事がまだあり勤務を終えることはできません。
しかしその仕事に必要な資料が私の手元に届くまで少し時間がかかるので、その時間を利用して洞ヶ峠の探索へ。
男山吉井の東高野街道と山根街道との分岐。
東高野街道はここを右に曲がります。
ここから直進する道は山根街道。東高野街道と山根街道は京阪電車交野駅付近で合流して東高野街道として星田に至りますが、全ルートが未解明の山根街道は謎だらけ。
街道沿いに旧石器時代の遺跡が見つかる山根街道は、同じく旧石器時代以来の歴史がある八幡と関係があっても何の不思議もありません。



三宅安兵衛氏ゆかりの石碑。



東高野街道ウオークではここを右に行き円福寺まで進みました。
でも実際の東高野街道は左側の道。
ただし当然ですが旧道の姿形はあるはずもありません。
コースとしてはここに東高野街道が通っていたのですが、今は拡幅され完全に舗装されています。



左右の住宅を眺めながら坂を上がって行くと行き止まりに。
奥に細い道らしきものがあり「東高野街道?」と思いますがそうではありません。
ここまで来る少し手前で東高野街道は右に曲がっているのです。



この辺りの地名は安居塚(あんごつか)。
「塚」という地名から分かるように、この付近には「洞ヶ峠古墳」があったようです。



行き止まりでUターン。
少し戻った左側(西側)に円福寺に至る道へ降りる階段が。



その階段のほんの少し手前。(階段は下りません)
ありました!!
東高野街道が当時のままの形状を残していました。
古い地図ではこの道が高野街道であるということが確認できるようです。



細い細い旧道。しかも行き止まりの道。
当然、こんな場所を歩く人がいるはずもありません。
歩いていて犬に思い切りほえられました。(;一_一)



「安全第一」と書かれているフェンスにつき当たりました。



フェンスの先。
周囲より一段低くなって踏み固められた跡が残っています。
あるいは旧街道かも。



完全に行き止まり。
ここから先は、遥か下に新しくできた道路があります。
左にNTTのアンテナのフェンスがあるここが洞ヶ峠の今の姿なのです。



洞ヶ峠から戻り、東高野街道を破壊し新しく建設された道路へ向かうため住宅街の階段を下ります。



新しい道路へ。



新しい道路から洞ヶ峠を望む。
ちょうど電柱の辺りが洞ヶ峠。



洞ヶ峠があった場所から先の東高野街道は完全に削り取られ、今は台形の掘削面が観察できるのみ。
この写真の底辺に並行な水平線をNTTのアンテナの根元付近から右方向に引いたと考えてください。
それが洞ヶ峠から先の東高野街道だったのです。
ため息が出ます。



職場に戻りサービス残業を超高速でこなし「晴れて自由の身(^_^;)」に。
ホッとして外へ走り出ます。
泥松稲荷前通過。
この泥松稲荷は、「八幡の真髄に迫る」の第2弾で探索予定。
「八幡の真髄に迫る」では、「涙川」や「女池」の今を探っていくなどの内容で計画中。
ただ、あまりにも資料が少なすぎ。
どこまで迫れるかは今の時点では不明です。



夕陽が男山のずっと向こうの雲に沈んでいきます。



夕陽を背中で眺めるモスラ号。



国道1号線・木津川大橋の上から見る男山方向。
日没。


「温故知新」って言葉を思い出します。高校の時に習った記憶が。
「古きを知る」ことにとっても興味が湧いてきました。
新しく企画し始めた「八幡の真髄に迫る」は、自転車通勤の帰路などで行なっていく計画。
でも来月からは帰宅が遅くなるので自転車通勤の機会は減ります。
コツコツと資料を集め、ゆっくりと八幡の真髄に迫っていこうと思います。


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