今日は、北国脇往還ウオークの最終回。
午前中に自宅をユニバーサルデザイン化する一環の工事があったので、自宅を出たのは正午少し前。
結局ウオークスタート地点の郡上に着いたのは午後3時少し前。
それでも郡上〜木之本を歩き、途中の高月では「近江の青の洞門」と呼ばれる西野水道を訪問することができました。


本日のウオーキング歩数、35,841歩。

2008年10月4日(土)




高月駅前着。
駅前の浅井長政公とお市の方の像が出迎えてくれました。



駅前に「小谷城和りんご」と書かれた看板が
湖北を歩けば歩くほど「親・浅井(あざい)、反・信長」の想いを強く持つようになった私。
これは見過ごして通ることはできません。



これが「小谷城和りんご」のようです。



説明板。
「食の文化財復活事業」ですか。
いいですねえ。



丁野山城跡の案内板。
丁野山城は岡山城とも呼ばれ平泉寺僧兵が守備していました。
小谷城攻防戦で浅井氏を加勢するため越前から来た朝倉勢が拠点とした大嶽砦(城)の落城と共に、信長勢の手により落城してしまいます。
今回は北国脇往還の完結ウオークをしなくてはならないので時間の関係で訪れることができませんが、これから先必ず訪れようと思います。



明日5日は「小谷城ふるさと祭り」が開催されるのです。



秋ですねえ・・・・・。



北陸自動車道の高架をくぐります。



小谷城跡は国指定史跡。



遠くに伊吹山を望む。



深呼吸しなければもったいないように思える風景。



今日の北国脇往還ウオークの起点である郡上に到着。



かつて、北国脇往還(北国街道の近道)を通った人々を見守っていたであろう石地蔵様。



郡上の高札場跡に建つ建物。



高札場跡。



本日のウオークの起点を出発し北上開始!
でも時刻はもう午後3時前。(-_-;)



かつて存在したものの歴史は、ぜひともこのように保存して欲しいもの。
京都では愛宕ケーブル跡はその姿をますます消し急いでいるのに、かつてそこにケーブルがあったこと自体が多くの人の記憶や知識にはもう入っていないという状態。



北国脇往還沿いの風景。



道が突き当たりになりました。
ここを左に行きます。



地蔵様。



いったん365号線に出ます。
ここから365号線を少しだけ北進。



365号線を数百メートル歩くと左側にガードレールで閉鎖された旧道が現れます。
この旧道がが北国脇往還。
ここで365号線から離れます。



365号線の美濃山交差点手前で道が広くなり、ややがっかり。



脇往還から外れた場所に小高い場所がありました。
気になるので寄ってみることに。



説明。
何とこれは移築された湖北最古の古墳のようです。



古墳内部へ。



古墳内部。
実にしっかりしており、6世紀のものとはとても信じられません。



再び脇往還へ。 
また道が狭くなってきました。
歩いたり自転車で走る分には道幅はこれくらいがちょうどよし。
道が狭い方が旧街道の雰囲気がよく感じられます。



街道沿いの秋らしい風景。



二俣の交差点を左に。



今の上山田八日市線が当時の北国脇往還。



こもれび苑に突き当り左折。



こもれび苑前を左折すると365号線に突き当ります。
その365号線の手前に、小さな川に沿ってこんな道が伸びています。
365号線の手前で右折してこの道に入ります。
この道が北国脇往還なのです。



旧街道らしくない道のようにも思えましたが、次第に街道らしい雰囲気になってきました。



清流が流れる小さな川沿いにはコスモスの花が満開。



街道歩きの魅力を強く感じる風景。



右へ抜ける細い道がありますが、直進してきた街道はここまで。
ここを左折します。



左折する位置の右側には神社が。



その横にはお寺も。



石碑発見。
親切にも指で進むべき方向を教えてくれています。



川幅は狭いけれど、本当にきれいな水。



左折してしばらく歩くと365号線の阿弥陀橋に出ます。
阿弥陀橋を渡ります。



北国脇往還は阿弥陀橋を渡って365号線のすぐ東側の道を、365号線に並行して進みます。
しかし今日は大月の西野水道をぜひとも見たいので、阿弥陀橋を渡りそのまま直進してJR北陸本線・大月駅方向へ。
大円寺着。
木造十一面千手観音にお参りするため寄ることに。



木造十一面千手観音立像の説明。



お参りしようと思ったら工事中。(>_<)
お堂に上がれませんでした。



大月駅前着。
観光案内所にあるレンタサイクルを借りようと思って中にいた人に声をかけると「今の時刻はもう午後4時。私は5時にはここを閉めて帰ります。西野水道は灯篭の向こうに見えている山裾にあり、いくら急いでも20分以上かかります。そして、西野水道は真っ暗で長さは200メートル以上あり、準備してから通ると結構時間がかかります。それでも行かれますか?」と尋ねられました。
自転車を見ると変速機付きなので、「行きます。5時までには帰ります!」と言ってレンタル。
ただ〜し。5時までにもし帰れなかった場合の「秘策」を指南していただいたうえでのレンタルになりました。



道は口頭で教えていただきましたがとっても分かりやすいので間違えることはありません。
「ガルルルル」という感じでぶっ飛ばし、余裕で西野水道に迫ります。
「姫塚古墳」の案内が。
ここ大月は、脇往還ウオークの通過地点としてではなく大月観光そのものを目的にしてぜひ一度来ようと思います。



西野水道まであと少し。



西野水道着!
モスラ号で使っているライトと、そして長靴ではかさばるので代わりになるサンダルを持参しています。
サンダルに履き替えようかとも思いましたが、内部の様子が全く分からないのと時間があまりないのでとりあえず靴のままで内部へ向かいます。



西野地区は北西部を山に囲まれた低地となっていました。
大雨が降るたびに余呉川が氾濫し田畑は一面湖のようになりました。
西野で生まれ育ち水害の苦難をつぶさに目にしてきた、浄土真宗充満寺の西野恵荘は村人を救うには岩山を掘り抜き水を琵琶湖に流すしかないと考え掘削を決意。
石工の挫折や資金難それに度重なる事故にもかかわらず、5年の歳月をかけてついに隧道を完成させたのです。



全て手掘り。
隧道内部にはこのようにノミの跡が生々しく残っています。



途中で隧道はこのように折れ曲がっています。
また床面も所々深く掘られており、工事途中で何度も方向や高さを修正したことがうかがえます。
床面が深く掘られている場所ではこうして水がたまっていrます。
スニーカーのままでは進めませんので、ここで前進を断念。



ライトを点灯してから電池が弱っていることに気付きました。
交換用の電池は2組分(8本)持参しているのですが、交換する時間が勿体ないのでそのまま入りました。
Uターンし薄暗いライトで出口へと向かいます。
出口の明かりを見つけてほっと一息



西野水道記念公園にあるモニュメント。
当時の工事の様子です。



歌まであるようです。
地域の人たちが、いかに先人の労苦に感謝しているかがうかがえます。



こんなモニュメントもありました。



西野水道の左側に新しい隧道が。
そこを通って琵琶湖側へ。



自転車なので新しい隧道はあっという間に通過。



トンネルを越えるとそこは琵琶湖だった・・・。
最も新しい隧道である余呉川トンネルの水が激しい勢いで琵琶湖に流れ込んでいました。


西野隧道を琵琶湖側からアタック!
琵琶湖側には、両側に柵と頭上に保護シートらしきものが取り付けられています。



琵琶湖側から奥へ進んでいくとやはり水が。
ここでUターン。



自転車へ戻ります。



西野水道記念公園に戻り、西野水道・新しい隧道のさらに左にある余呉川を眺めます。
ここから見ると余呉川は水深が10cm程ですが、琵琶湖側の出口付近ではかなりの水深でした。
水路内部が細いので、ここから先では水深が次第に深くなっていくようです。
この余呉川の少し下流に最も新しい隧道があり、現在はそれが治水に利用されています。



現在使われている西野水道の説明。
確かに危険です。
面白半分の観光客がいたら分かりませんが、地元の人はおそらく用事もないのにここには絶対に入らないだろうなって思います。



のどかな風景を眺めながらお二人のご婦人が畑仕事の手を休めて何やら話し込んでおられました。
いいですねえ・・・・。
しばらく眺めていました。



さて帰路に!
持ち時間は1時間なのに、ゆっくりし過ぎたかな。(-_-;)



帰路で道を間違ってしまいました。
おかしいなあ、行きと同じ道を戻るだけなのに・・・・?
それでも何でも、レンタサイクルをぶっ飛ばし無事4時50分頃に駅に着くことができました。
わずかな時間を使って、観光案内所内部の展示を見ます。



五右衛門風呂が。
私は生活の場で使われている五右衛門風呂に入ったことがあります。
中学生時代に田舎に帰った際のことです。



説明を読んでいると、私が入った五右衛門風呂とはどうやら違うようです。
私が入った五右衛門風呂は、足をやけどしないように蓋の上に乗って蓋を沈めて使う風呂でした。



阿弥陀橋まで戻り、北国脇往還ウオークを再開。
って言ってももう日没を迎えてしまいました。



すこしして脇往還は川から離れます。
薄暗くなった街道を北進。



井口にある一里塚跡。



一里塚跡には地蔵様が。



井戸も。
脇往還が盛んに利用されていた時には、井口の一里塚はかなり重要なポイントだったのかもしれません。



ウオークを継続。
きれいな小さな流れには、生活と水が密着していることを示すようなものがありました。



今日のウオークで初めて見つけた「北国脇往還」の文字。



井口弾正邸址の石碑。



説明。



道が行き止まりに。
ここを左折ますが、ここから先は全く道が分かりません。



美しい残照を眺めながら、本能と直感を頼りに歩きます。
ふ〜っ。



きれい。



暗くなった道を結構歩いて、ついに木之本らしき場所に到着。
このまままっすぐ行けば道は突き当たりになっているので、その場所が北国脇往還の起点であればばんばんざい。
「そんな奇跡みたいなことがあるはずはない。」と思いながらも淡い期待を抱いて歩を進めます。



じゃーん!
あれれ、ぜんぜん違いました。(-_-;)
木之本駅の近くですがな。



石畳の坂を上がって木之本地蔵尊へ。
奥には地蔵尊のお堂の灯りが見えていましたが、写真には写りませんでした。



北国脇往還の起点を目指しましたが、時間が遅いので断念。
サラダパンと地酒を買ってからUターンし木ノ本駅へ。
木ノ本駅旧駅舎です。



木ノ本駅で、ほどなくやってきた長浜行きの電車に乗り、購入したサラダパンを車内で「記念撮影」。



同じく地酒も記念撮影。



箱から出してみました。
お、おいしそう・・・・。
って言っても私は日本酒は飲みません。
お土産で持って帰ります。



長浜駅着。
ここ長浜駅で姫路行きの新快速に乗ったものの、その新快速は彦根で十数分も停車。(>_<)
帰宅がかなり遅くなってしまいました。
余談ですが、長浜から新快速に乗り込んだとたんプーンと強いアルコール臭がしました。
一瞬「買った地酒のビンが割れたかな?」と思いましたがそうではありませんでした。
レースウエア姿の男性二人が強いアルコールの匂いをプンプンさせながら、車両全体に響き渡るような大きな声で「ポタリング」「疋田は言っているがおれは違うと思う」「サドルの高さは普通上げて調節するけど、おれは反対で下げて調節した」などと大声で話しながら、盛んにガハハハと大笑いしています。
同じ自転車愛好家として少し恥ずかしくなりました。
もっとも・・・。「同じアルコール愛好家」として考えれば決して非難はできませんがね。
ドモドモ。^_^;
北陸のどこかでレースでもあったのかな??






北国脇往還ウオーク。
とりあえずは完結。
でも道の間違いが多く、自分自身としては決して納得できるウオークの完結ではありませんでした。
でもいいんです。
次は、「時間さえ合えば」という前提はありますが、ばったさんと共に全線を自転車で往復する計画あり。
私の北国脇往還アタックはまだ終わりません。



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