今日は、伊吹山登山を計画し出発。
しかし雲が多い天気だったので予定を変更し北国脇往還沿いにある小谷山に登りました。


本日のウオーキング歩数、約30,000歩。(万歩計が行方不明中)


2008年11月15日(土)




朝から曇っていたものの、日が差し始めててきました。
府立総合運動公園「太陽が丘」に紅葉を眺めに。



素晴らしい紅葉。



燃えるような紅葉風景。



樹によって紅葉の色が違います。
葉が赤でなく黄色くても、もちろん紅葉と呼びますよね。



素敵な散歩道。



紅葉の絨毯。



自宅に戻り、湖北に向け出発。
JR北陸本線「河毛駅」から今日は行動を開始します。
河毛駅に着き、駅舎から出て眺める北近江の風景。



駅前の案内板。
湖北町って、その名前の通りにの場所に位置しているんですね。



今日の行動予定のコースを確認。



駅周辺の道端で咲くきれいな花。
きれいですがこの時期に道路沿いの環境の悪い場所に生き生きと咲く強靭は花。
おそらく外来種が繁殖しているもの。



北国脇往還でも通った美濃山。
この美濃山を木之本方向に進みます。



湖北の一風景。



小谷山登山の赤谷コースへ。
ここを右折。



赤谷コースを進み始めてすぐにゲートボール場が。
そこにあった「赤谷出水」の説明。



大嶽(おおづく)城跡目指して、小谷山の赤谷を登り始めた際の山道の風景。
こんな里山の雑木の風景を私は大好き。




赤谷出水下流にあった古溜池跡。
池の中心はすり鉢のように深くなっていましたが、次第に土砂が堆積して浅くなりついには池の水も枯れてしまいました。



木の股水跡。
赤谷出水の源流で、干ばつ時でも枯渇することなく美味な水が湧き出ていました。
いつしか末期の水として用いられるようになったとの話が伝わっているようです。
浅井幹線水路トンネルの完成により、残念ながら木の股水は枯れてしまいました。



ずっと登りでかなり汗をかきましたが、途中から下り坂に。
下りきった場所に「脇坂甚内安治候生誕地」がありました。



ワオ!



小谷山登山道の赤谷コースを歩き始めてここに来るまで、ゲートボール場を越えてからは誰にも会いませんでした。
また、ここから先も小谷城跡に行くまで人っ子一人で会いませんでした。
でもかつてここには、大勢の人が住む集落が形成されていたようです。



屋敷跡。



大嶽(おおづく)城跡への登りがまた始まります。



泥に埋まってかなりの年月が経った砂防ダム。
砂防ダムに埋まった泥では樹が大きくスクスクと育っています。
「予算を消化するために造り、そして造ったらそれで終わり。あとはどうなろうと無関係。」という日本の土木行政を象徴するような風景。
このダムを造る予算は篤志家のポケットマネーから捻出されたわけでは決してありません。
私達が汗水たらして働いた貴重な収入から支払った税金が使われています。
経済の高度成長を遂げた日本。
そんな成長期に政治がまともに機能して「将来」を見越していたら、不況時の今でも私達は将来の不安を感じることなどなかったはず。



曇り空でも時折陽が差す。
そんな風景を見ながら標高を稼ぎます。



紅葉がきれい。



整備された非常に歩き易い道。
軽自動車も通れる道のよう。



高原散歩の雰囲気。



いくつもの案内板があります。



福寿丸や山崎丸というのは山砦の名前。
この尾根筋が大嶽城や小谷城攻めには適しているため、防衛のために山城が築かれたものと思われます。
共に朝倉氏の援軍によって築かれました。



いつしかこんなに細くなり次第に険しくなる登り。
汗だくになったので、上着を脱ぎランニングシャツ1枚の姿に。
それでも汗が滴る状態で標高を上げます。



大嶽(おおづく)城跡へあと427m。
「もうすぐ」と思ったことが間違いだったということにすぐに気付きました。
ここから先、きつい登りが待っていました。



汗をポタポタ流しながら歩きます。



汗だくの状態で、「大嶽城跡へあと427m」の標識から歩き続けやっと大嶽山頂に到着。



小谷山系の主峰である大嶽(おおづく)は標高が499.5mもありました。
「想定外」の標高。
汗だくになるはず。
赤谷コースのゲートボール場からここまで来るのに、全く誰にも出会いませんでした。
完全な無人状態の山道をここまで歩いてきたことになります。



大嶽(おおづく)城跡。
小谷山系最高の位置になり、山王丸を初めとした小谷山の砦を見下ろすことができる場所です。
汗だくになったのにここで急に寒くなってきました。
汗だくの服を大急ぎで着かえました。
伊吹山登山を想定して自宅を出発したので、着かえなどの装備品は万全。



大嶽からの下り道はやや分かりにくいので注意が必要。
築城できる広さがあった広い場所なのに踏み跡が結構多いのです。



登って来た赤谷コースへ下りかけるなど少し迷ったものの、無事に下山方向を確認。
下山開始。
紅葉がきれい。(#^.^#)



大嶽(おおづく)城の説明。



標高をどんどん下げながら「下界」をウオッチ。



下りは階段道。



急な階段を下る眼に美しい紅葉が飛び込みます。
本当にいい季節。



ずっと続く階段。
結構きついなあ・・・。



間もなく小谷城跡。



六坊址通過。



こんな場所まで来て「入山禁止」と言われてもねえ・・・・。
と思いましたが、ロープが張ってあったので「そこに入ったらいけないんだな。」と理解しました。



そうだそうだ。
動かさぬ!



小谷城のものと思われる石垣跡。



「山王丸」の石碑。



山王丸の説明。



「小丸」の石垣。



小丸跡。



小丸の説明。



「京極丸」の石碑。



京極丸の説明。



「刀洗い池」跡。



池跡を示す石碑。



小谷城の本丸跡着。
前回の小谷城跡探索ではここまでしか登って来れませんでした。
当然、前回のウオークでは小谷山系の全貌は不明。
今日のウオークでは、小谷山系と小谷城を取りまく地形のことがとってもよく分かりました。



本丸の説明。



本丸跡から少し下るとかなり広い場所が。



広いはず。
主殿跡です。



桜の馬場へ。



浅井長政の雰囲気を強く感じます。



カモシカはいいのですが「熊の目撃情報があります。」との看板も近くにありました。
目撃されたのはカモシカかクマか一体どっちなんだろう・・・・・?



赤尾屋敷跡への分岐。
琵琶湖一周オークの際にもここに来ましたが、その時には赤尾屋敷跡には寄りませんでした。
でも今日は、何としてでも寄ろうと思います。



下山路から少し離れ赤尾屋敷跡を目指すことに。



赤尾屋敷跡着。
屋敷跡の石碑。



ここ赤尾屋敷跡は長政自刃の地。
手を合わせます。



赤尾屋敷跡を後にして再び下山路へ
「首据石」。



石の説明。



「馬洗池」跡。



「馬洗池」の石碑。



「番所跡」通過。



朝倉氏の陣所である「金吾丸」へ。
また登りですな。(>_<)



「金吾丸」の説明



「金吾丸」跡からどんどん下り真柄峠へ。



真柄峠の説明。



「松茸盗るな」「熊が出るかも」ってことでしょうね。



下山完了!



「小谷城 戦国歴史資料館」へ。



時間が遅いので入場はしません。
入り口前にて。



湖北カイドーの実。
おいしそう・・・・、って言うかカイドーの実が食べられるってことを初めて知りました。



大手門跡。



かつてここが城下町だったことを示す石碑。



小谷山を下山しましたがまだウオークが終わったわけではありません。
伊部を目指して歩き始めます。
小谷山を望む。



右手に見えるこの山は虎姫山のはず。



小谷山下山後、ほどなく伊部到着。



伊部の集落内を本陣跡目指して進みます。



伊部本陣跡到着!



伊部本陣跡が今日の最終目的地。
帰路につきます。
速歩で進む私を、伊吹山が頭を雲に隠しながらも見下ろしています。
さて、長浜を目指そう!



長浜まで8km。
歩くつもりでいたものの、暗くなってきたので途中で断念。
ライトは持参しているものの、歩く道を走る車の多さに負けました。
虎姫駅から電車に乗ろうっと。
五村別院前通過。



五村別院はいつか必ずお参りするつもり。



長浜にかなり近付いていた模様。
虎姫の街を北進し虎姫駅を目指します。



虎姫駅着!



虎姫駅前の多目的広場。
虎の匂いがとってもかぐわしいでっす。






虎姫駅から電車に乗って京都駅着。
「スーパーはくと13号」を見ます。



特急「ひだ」。



特急「まいづる」。
今年の8月24日に、長男が出してくれた資金で夫婦で天橋立日帰り旅行に行きました。
その際に乗った列車は、これと同じ車体の特急「はしだて」。
車体の形状は同じだが、「はしだて」より この「まいづる」の方が新しくてきれい。

さて、帰宅を急ごう!


「北国脇往還」や北琵琶湖。
本当に素晴らしい。
まだまだ私の北琵琶湖めぐりは続きます。


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