今日は、近江と越前を結ぶ最短の道であった「深坂古道」を歩いてきました。
深坂古道は、古代の越前・近江国境越えの最短のコースで、塩津海道の一部。
敦賀で陸揚げされた物資は、深坂・沓掛を経由する塩津海道を通って塩津浜まで運ばれ、塩津浜から船で堅田や草津・大津や京都などへ供給さていれました。
塩津は琵琶湖水運の主要な港として栄えた集落で、琵琶湖に100以上あったとされる港の中では南部の大津と共に北部の塩津は飛び抜けて大きな港だったのです。


本日のウオーク歩数、22,260歩。(うちエクササイズウオーク17,330歩)、消費カロリー831kcal。
ただし、消費カロリーは距離のみで計測されるため、峠越えを考えると1,000kcalを越えているはず。

2008年12月20日(土)




いい天気になりました。
自宅に植えてあるフォックスフェィスを眺めます。
フォックスフェィスは20個近く実っています。






庭ですくすくと育つ大根・
植えたのがかなり遅かったのですが、それでも元気良く育っています。
柿の木の落ち葉が大根クンの布団です。



大きいものはもう直径が5cm程。



京都駅へ。
近江塩津行きの新快速の時間まで余裕があったので、駅ホームの店で昼食。
「稲荷定食・蕎麦は並盛でなく2玉」を注文し完食。
ホームで列車の到着を待ちます。
特急「スーパーはくと」発見。
智頭急行のディーゼル車HOT7000系です



近江塩津駅着。
12月の中旬を過ぎたというのに積雪は0。
駅舎に「うどん」ののぼりが上がっていますが、これは駅周辺に店が皆無のため「駅近くでゆっくりできる場所はないんですか?」という観光客の声に応えてできたお店のもの。
私も何度か同じようなことを考えました。
店は利用客が少なく現在は赤字だとか。
今度来るときは早めに家を出て、ここで昼食を摂ろうと思います。



近江塩津駅前の風景。
空腹でここに着いた時に、駅前の食事どころを探したがなくガックリとして空腹のまま行動を続けたことがあります。
琵琶湖一周ウオークの時だったような記憶が。



北陸本線の線路沿いを歩きます。
近江塩津駅から深坂古道を経由して新疋田駅を目指しますが、鉄道では近江塩津から新疋田駅までは深坂トンネルを通ってわずか5分。
歩いていると、前方からよろよろとしんどそうに歩いてきた数名の高齢者のグループが「新疋田駅はこっちですか?」と尋ねるので「新疋田駅は反対ですよ。」と答えると「え〜!?」と困惑した表情に。
「近江塩津ならすぐそこですが。」と言うと「あ、そうですか!反対の駅の名前を言ってしまっていました。ありがとうございました。」とのこと。
「深坂古道を越えてきたんだな。」とピンときました。
それにしてもあの疲れよう・・・・・・。
峠への道はそんなにきついんだろうか。(-_-;)



近江塩津には「塩津海道」の面影を残す町並みが随所に残っています。



普段の精神的な疲れが癒されるような風景を眺めながら歩を進めます。



素敵。






風景はいいのですが歩いている国道8号線は歩道がなくなり、そのうえ大型トラックが高速で体ぎりぎりに通り過ぎています。
とっても危険なので沓掛の集落内を歩くことに。



丸子船の郷。
ここ沓掛は塩津海道の一部にあたるのです。



沓掛を過ぎるとまた国道8号線を歩くことに。
かなりの上りになり登坂車線があるので道は広くなり比較的歩き易くやすくなりました。
ずっと歩いていくと登坂車線が終わってしまったので「行き過ぎたかな?」と思って引き返しました。
しかし引き返しながらプリントアウトした資料で確認すると、どうやら行き過ぎていないもよう。
再びUターンして深坂地蔵への入口を何とか発見。



林道入り口にある石仏。
時刻はもう午後3時15分を過ぎています。
ライト類を持参していないので一瞬躊躇しましたが、暗くなるまでに歩ききれると判断してGO!
歩き始めたら、すぐ横の家のつながれていない犬が激しく吠えながら走ってきました。
犬をつながないで飼うとはあまりにも非常識。



林道を通って深坂古道に入りました。
「塩津海道」の石碑が。



よく整備されている深坂古道。
薄暗くなってきたので心配になり小走りで歩きます。



道沿いにこんなものが。



ほどなく深坂地蔵着。
歩き始めて15分くらいでした。
この深坂地蔵には次のようないわれがあります。
塩津から敦賀までのおよそ25kmの水路を掘ることを計画した平清盛がその工事を息子の重盛に命じました。
試掘しようとこの辺りを掘ると硬い岩に突き当りました。
その岩を割ろうとすると血のようなものが流れ、そして工事人は激しい腹痛に。
不審に思ったものの代わりに岩を割ろうとした人物も同じように激しい腹痛に襲われました。
役人が岩を丁寧に掘り起こしてみると、それは地蔵様だったのです。
重盛は工事を断念し、地蔵様はここに安置されました。
物資の輸送に最も困難を伴う場所である深坂越えを避けるため、重盛の工事よりも以前から何度も開削工事が試みられましたが結局いずれも実現していません。
人はこの地蔵を今でも「掘り止め地蔵」と呼ぶとか。



地蔵の説明。
この説明に記述はありませんが、道中の安全を願う人が塩をかけたので「塩かけ地蔵」とも呼ばれています。
ただ現在では、「塩害のため塩をかけるのは控えてください。」とのことだそうです。



地蔵堂の周りには数多くの石仏や石地蔵が。



地蔵堂前にある休憩所。
時間がないので休んではいられませんが、とってもいい感じの場所でした。



地蔵堂横の水飲み場。
荷を積んだ馬がへたってしまう程の坂を登って来た人にとっては実にありがたい場所だったことでしょう。



落ち葉の絨毯を踏みしめながら速歩。
ただし、転倒しないように慎重に進みます。
落ち葉で見えにくいのですが、道には結構岩が露出しています。
怪我をしても自力で下るしかありませんから。
こんな時間帯に深坂古道を歩く人などいないはず。
携帯ラジオを持参し忘れたので、落ち葉を踏みしめる大きな音がクマよけ鈴がわりになります。
もうクマは冬眠していると思うけど・・・・。



春のような暖かさで雪などもちろんありません。
日没前の柔らかい光を浴びる深坂峠に到着。
峠の標高は約370メートル。



深坂峠について。



峠には石垣の跡がいくつも残っていますが、それがかつての賑わいを象徴しています。
茶屋などが軒を連ねていたんでしょうね。



紫式部と笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が峠を越えた時に詠んだ歌。



道が苔むしています。



およそ1000年前に、紫式部が父と共に峠を越えた時に詠んだ歌。



下り終わり道路が見えました。
ホッと安堵の一息。
時刻は午後4時。
歩き始めてから40分余りでした。
ゆっくりと説明を読みます。



説明の左半分。



深坂古道をあとに。



深坂古道は素晴らしい道でした。



新疋田駅を目指します。
ここはもう福井県です。
「愛発」と書いて「あらち」と読むんですね。



国道161号線へ。



大きな看板ですがこれは愛発側からしか見えません。
国道からこの看板を見ると「交通安全」と書かれていました。



新疋田駅着。
深坂古道から歩いて10分もかかりませんでした。



駅前の絵地図。
地図にある追分から近江の沓掛までが深坂古道です。
今は全線残っていないものの、当時のままの姿で今に残る貴重な古道が深坂古道なのです。



駅は完全無人で、切符販売機もICOCAの設備もありません。
でもよく整備された駅です。



ホームへ。
誰もいませんでしたし、結局電車に乗るまで駅には誰も来ませんでした。
でも待合室がありエアコンが動いていたので快適に過ごせました。
新疋田の次の駅は敦賀。



ホームから見る駅舎。
新しく建てられた駅舎ですが、旧駅舎はとっても味があったようです。



北陸本線の深坂トンネル。



特急「しらさぎ」通過。
少しして同じような列車が来たので「あれ?」と思ってよく見ると車体の線の色が違いました。
後から来たのは「サンダーバード」。
近江塩津より北にあるここ新疋田駅は、北陸本線と湖西線の両方の列車が通過するんでしたね。
さて帰ろうっと。




素晴らしかった深坂古道。
次は敦賀で戦国の息吹きを味わってみようと思います。
ぜひとも行きたいのは、金ヶ崎城跡。
木ノ芽峠もいいなあ・・・・。


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