今日は久々の愛宕山登山。
別に愛宕山登山を計画していたわけではなかったが、朝起きて宇治東部の山を見たら雪化粧していたので「雪景色を久々に見たい。」と思い立ち愛宕山行きを決定。
愛宕登山ではずっと小雪に降られたが、それでも雨具を使うことなく素敵なウオークができた。
本日のウオーキング歩数、37,584歩。(うちエクササイズウオーク18,871歩)、消費カロリー1,295kcal。
2009年1月10日(土)
JRの嵯峨嵐山駅から清滝まで歩きます。
清涼寺へ。
境内の「生(しょう)の六道」の石碑。
小野小町の祖父の小野篁(おのたかむら)は、夜な夜な東山の六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)境内の井戸から地獄に行き閻魔大王の仕事を手伝ったとされています。
地獄で仕事終えて朝になると篁は、ここにあった井戸から現世に出たとされ、「あの世」の地獄から「この世」に戻ってくるので「生の六道」と刻まれています。
この場所には井戸があったとされます。
篁が地獄で苦しむ亡者のために罪を受けていた地蔵を見て感動し、現世に戻って福生寺というお寺を建立しますが今はもう存在しないお寺がここに建っていたともされます。
ちなみに。
六道珍皇寺境内の井戸は今でも残っています。(公開されていませんので戸の格子の間からしか見ることしかできないのが残念。)
奥嵯峨を目指します。
路傍に多くの石仏を見ることができます。
奥嵯峨は昔は愛宕(おたぎ)と呼ばれていました。
渡辺綱が一条戻り橋で退治した鬼は渡辺綱に手を斬られた後 愛宕の方へ飛び去ったとされますが、その愛宕というのは愛宕山ではなく奥嵯峨あたりだったんじゃないかなと私は推測しています。
中院(ちゅういん)山荘跡。
鎌倉時代に今の栃木県の豪族であった宇都宮頼綱は政争に巻き込まれるのが嫌で出家し、実信房蓮生と名乗っていました。
僧・蓮生は和歌の名手で、小倉山麓に住んでいた藤原定家近とも親交がありました。
定家はこの山荘で、蓮生に山荘の障子に貼る色紙の制作を依頼されます。
快く応じた定家は、色紙の1枚1枚に天智天皇以来の名歌人の作を一首づつ書きました。
小倉百人一首は、この時の選歌に後鳥羽・順徳の両天皇の作品を加えるなどして完成したとされます。
つまりここが小倉百人一首の生まれた地なのです。
夕子ちゃん。
京銘菓の配送トラックの側面にペイントされていました。
奥嵯峨の水の神様を祀る神社へ寄り登山の安全を祈願。
奥嵯峨の風景。
まゆ村さん前通過。
寄りたいのですが時間がもう遅いので寄らずに先を急ぎます。
奥嵯峨の建物の屋根の上にはうっすらとした雪が残っていました。
愛宕山の積雪はどれくらいなんだろう・・・。
鳥居本に到着。
鳥居本にある料理屋さん「ひらの屋」。
おいしい鮎を食べられる店なのですが私は入ったことがありません。
石仏にもしめ縄が。
愛宕(おたぎ)念仏寺前へ。
清滝トンネル。
このトンネルは愛宕鉄道のトンネルとして建設されました。
戦時中に不足する金属を補うため金属類が「供出」されましたが、愛宕鉄道も同様の理由で廃止されてしまいます。
線路を撤去した後このトンネルは軍需工場として利用され、最盛期にはこのトンネルの中で500人もの人がこの中で働いていたのです。
急な傾斜を下り切り渡猿橋を渡ります。
登山開始。
鳥居の所に杖用と思われる竹の棒が数本置いてあったので借用しました。
もう時刻は午後2時。
進行方向右側に愛宕ケーブルの線路跡が見えています。
火燧(ひうち)権現横の杉の大木。
落雷ででしょうか黒焦げです。
ずっと無雪でしたが3合目あたりから登山道に雪が。
ジャンパーを脱いでも汗が出るので袖をまくって歩きます。
それでも汗だく。
休憩所で水分補給。
水分は2リットルのペットボトル入りの水を持って来ました。
汗が噴き出すので喉が本当に渇きます。
大杉大神前で再び水分補給。
標高を上げるにつれ雪深くなってきます。
木漏れ日が石仏をスポットライトのように照らしています。
展望台へ到着。
ずっと小雪が降っているので、雪雲にかすんでしまい京都市街が全く見えません。
次第に冬山らしくなってきました。
水尾との別れの少し下にある休憩所へ。
再び水分補給。
中の椅子にまで雪が積もっているので座れません。
水尾の別れ。
ここを左に行くと柚子の里・水尾へ至ります。
水尾の別れから10メートル程登山道を進むと、愛宕ケーブル山上駅の駅舎跡へ行く道があります。
当然のことながらその道を進みます。
愛宕ケーブル山上駅舎跡。
「まだ建っていてくれた!」と胸が熱くなりました。
内部へ。
今にも落ちてきそうな入り口上部の木部。
1944年(昭和19年)に廃止され既に64年もの歳月が経過しています。
致し方ありません。
内部へ入ると、かなり下部が崩れている階段が目に飛び込んできました。
まずは2階へ。
かなりの風化。
いつ階段が崩れても不思議でない気がします。
慎重に上がります。
2階の天井。
石灰つららに加えて氷のつららがいっぱい垂れ下がっていました。
窓枠。
かろうじて形を保っています。
壁は意外としっかりしています。
地下の機械室に行きたかったんですが、機械室には建物内からは行けません。
外に出て地下に行こうとしたんですが雪が深く踏み跡もありません。
防水のウオークシューズを履いているのですがズボンは防水機能なしのジャージ。
ズボンが濡れたら困るので地下室行きは断念。
地下室に行く反対側には屋内から行けるのでそちらに向かいます。
機械室外側の木造部。
今にも崩れ落ちそうな板がぶら下がっています。
駅舎跡を跡にする前に1階内部をしっかりと目に焼き付けます。
次ここに来る時に、ここが今のままの状態であるとは限りませんから。
駅舎跡に別れを告げます。
表参道へ戻ります。
表参道よりこの道の方が雪山の雰囲気が濃厚。
表参道よりこの辺りの方が雪が深く、多い場所では積雪が30cmほどもあります。
表参道へ。
気温が低くなってきました。
樹上から落ちてきた雪が頭の上で溶けたものが寒さで凍り始めました。
髪の毛がパリパリ。
首にかけている汗ふき用のタオルも汗が凍りついてしまいました。
石仏も寒そう。
もう少し!
益々寒そうな石仏さまがおざらっしゃった。
黒門へ到着。
黒門横の樹がクリスマスツリー状態に。
吹きだまりには50pを超える積雪。
降る雪がデジカメのフラッシュに輝きます。
目的地へ到着!
時刻はもう午後3時半。
愛宕神社には薪ストーブが燃える休憩所があります。
その前の気温計を見ると午後3時45分の気温はマイナス5℃。
参拝した後屋根を見てびっくり。
雪が今にも落ちそう。
暖かい休憩所に入り濡れた服を着替えてから喉を潤しました。
歩き始めてから一度も腰をおろしていなかったので「よっこらしょ」と座ったんですが、座ったとたん戸がガラガラと開いて神主さんが「時間なので施錠します。」って(>_<)
下山開始。
時刻は午後4時ちょうど。
本当は三角点まで行く計画だったんですが時間が遅いので断念。
ここは京都市右京区愛宕1番地。
京都市内とは思えない雪景色が目の前に広がります。
大きな吹きだまりがいくつもあります。
防水ウエアならこの雪を蹴散らして遊ぶんですが、残念ながら防水機能なしのジャージのズボンなので断念。
愛宕山の丁石。
展望台まで戻ってきました。
市街地の風景が少しだけ見えています。
下山完了!
ライトを使った時間は10分ほど。
ほとんどライトなしで歩けました。
鳥居本へ。
ひらの屋さんの灯りがきれい。
これもきれい!
実に味があります。
さて、帰宅しようっと。
素晴らしい雪景色が楽しめた山行ウオークでした。
それにしても、京都ってさほどの距離を移動しなくても実に様々な楽しみがあり本当に素敵だなって思います。
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