今日は5連休の中日だけどどこかに行く予定は無し。
夕刻に、条里制が敷かれていた痕跡を探しに宇治川周辺を歩きました。
そして素人推理で条里制当時の道のことを考えてみました。

本日のウオーキング歩数、11,348歩。(うちエクササイズウオーク6,212歩)、消費カロリー387kcal。

2009年5月4日(月)




宇治橋通りへ。
宇治茶の製造販売店が部屋の戸を開けて室内を公開していました。
私が知る限り、部屋の公開は初めてのことです。



炭火焼きウナギを売る店。
「悶絶するうまさ」との宣伝文句が書かれていました。



ウナギ屋さんの近くから伍町通りへ。
伍町通りは条里制当時の道なのです。
マンションの下にある石地蔵。
マンションは、条里制が敷かれていた当時の道の上に建っています。
マンション建設にあたり事前に行われた発掘調査では多くの遺物が発掘されています。



マンション下にある説明板。



ま東に延びる伍町通り。
北東に延びる宇治橋通りと伍町通りとは平行ではないので、宇治橋通りは条里制でできた道でないことが推測されます。



伍町通りを進み、県(あがた)通りを横切った先にもこうして道が続いています。
ということは当然これも条里制で造営された道のはず。



広い道は必要なかった当時の生活がうかがえます。



世界文化遺産である平等院の西側あたり。
条里制当時の道がかなり多く残っています。



おそらく平安時代からあったと思われる石地蔵。



地蔵の左奥に何やら見えましたので見てみました。
「地蔵道」と読むのでしょうか?



平等院の西側から、伍町通りの一筋北側の道へ。
帰宅してからyahooの地図情報で平等院周辺を見て確認しましたが、この道も条里制当時の道である可能性が極めて大。



この道は県(あがた)神社の北側に当たります。
石垣の一部にこんなものが。



県通りを横断して西進。
抹茶工場がありました。
この七茗園というのは室町時代から続く名前で、足利将軍が宇治茶の良さを認め優れた茶園を7ヶ所を指定してそれを七茗園としたのです。
やはり伍町通りの一つ南側のこの道も条里制当時の道と考えるのが自然。



再び平等院西側へ。



西側から見る平等院。
いつもは東側の宇治川畔から見ていますので、なんだか不思議な感じがします。



この道の狭さ。
間違いなく条里制当時の道のはず。



平等院へ向かいます。
小さな川に沿ったこの細道は平安時代から続く道かどうかは全くの不明。



細い道を通りきりましたが驚きました。
平等院のまん前にでました。
拝観券売り場や警備員が立っている場所よりも門に近い場所で、山門までの距離はわずか1mほど。
写真は平等院境内の様子。



平等院山門前のフジの花。
今日はネコ君はいませんでした。



青空喫茶店。
とってもいい雰囲気。



連休中なので観光客もかなり多め。



宇治川左岸へ。



世界文化遺産である平等院鳳凰堂。



観光船が進んできました。



料亭の玄関先に咲いていたきれいな花。
ツツジではないようです。



喜撰橋近くには、川にせり出したこんな座敷で宇治川の風景を眺めながら食事ができます。
価格も時に高くはないのでお勧め。



喜撰橋を渡り塔の島へ。
鵜飼舟が係留されていました。



アヒル君、何してるの?



朝霧橋を渡り恵心院へ。
恵心院はもう山門は閉まっているはず。
恵心院入口にはこんな絵が。
僧都恵心は、源氏物語の匂宮のモデルだったとされます。
比叡山から修業を得て下山する際に羅刹谷の鬼女に出会ったものの、たぶらかされず喰い殺されなかったのも恵心ということです。



恵心院に寄ったのはこの三本葉の松の写真を写すため。
三本葉の松です。
三鈷松という名前ですが、このクロマツの変種には弘法大師にまつわった話が伝わります。
書くと長くなりますので言い伝えは書きませんが、三鈷松は非常に珍しい松のようです。
蛇足ですが。
三本葉の松の葉なのに時々四本葉ができるそうです。
その四本葉は、ミツバのクロー場と同じく「幸せを呼ぶ」とか。
三本葉でも、高野山の御影堂(みえどう)の前にある「三鈷の松」の松葉を持っていると、弘法大師空海の法力によって必ずよい事が起こるとされているそうです。



恵心院近くの。
観光用ですが風情があります。



古い歴史と風光明媚な風景。
5連休にわざわざ遠くまで行かなくとも素晴らしい時間が持てます。
明日も長女と共に宇治川周辺を散策予定。


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