今日は、就職先の東京から帰宅している長女と共に宇治川周辺をウオーク。

本日のウオーキング歩数、10,558歩。(うちエクササイズウオーク5,552歩)、消費カロリー352kcal。


2009年5月5日(火)




長女に条里制の道の説明をしながら歩き、平等院山門前着。
ここに来るまでの平等院西側の条里制当時の道が交差する場所で、親しくしている同級生に出会いました。
その人物は私の冬山仲間。
その仲間は消防署勤務ですが、交通事故に遭い足が不自由になり現在は消防署で事務の仕事をしています。
冬山にいっしょに登っていた頃の話に花が咲きました。
「(奈良の大峰山系の)弥山に冬に一人で登った時には死にかけた。テントを張ろうと思った岩場が完全に凍りつき杭が打てなかった。出かける時に地元のおばあさんに『こんな時に、今からどこに行くの?』って言われた。」と聞きました。
「本当に大変やったねえ・・・・。」と心から同感しました。
「でも冬山に一人で行くのは危険だからね。」って返しましたが、実はそんな私も冬山に一人で行くことも多かったですねえ・・・。



山門前に咲くフジの花を見ながら色々と思いだします。
厳冬期前期の富士山に、その友人と共に極めて軽装のままでいっしょに登ったこともありました。
「五合目まで行って下山しようや。」ってことで、バスで行ける場所まで行って五合目を目指して登山開始。
しかし、冬の富士山の厳しさに早々に退却。
退却したのはいいものの最終バスの時刻はとっくに過ぎています。
しかも日没と同時に気温がぐんぐん下がり、辺り一面は氷結した厳冬の世界に。
軽装のままで麓まで戻ることは極めて困難な私達の目に飛び込んできたのが、夏期の混雑時の交通整理用と思われる警備員のプレハブ詰所の建物。
迷うことなくそのプレハブ建物に退避し、寒さに震えながら一睡もできずに一夜を過ごしました。
夜中に、その仲間は便意を催しましたので氷点下を思いきり下回る寒さの中、外に出て用を足したんですが、あまりの気温の低さに一度の排便で痔になってしまいました。
そんな仲間も交通事故で足が不自由になってしまい、加えて私ももう若くはなくなりました。
ハードな登山はお互いにもうできませんが、それでもこれからは「できる範囲」でその仲間との旧交を暖めていきたいな。

それはそれとして。
今日の平等院はかなりの人出で、警備員の説明を聞いていると2時間半待ちでの入場になるとか。
しかし入場しない あっしには、何のかかわりもないことでござんす。



「宇治っていいなあ・・。」と長女がつぶやいた風景。



塔の島から朝霧橋へ。



朝霧橋東詰。
匂宮と浮舟の像が緑滴る風景を眺めています。



無添加・無着色の三色茶団子。
NHKをはじめ、テレビなどでも賞賛されたとか。
買って帰って大正解!
甘さ控えめで柔らかく、とってもおいしかったです。
こんなおいしい茶団子は今まで食べたことがありませんでした。



どうです?
おいしそうでしょう。



橋寺放生院へ。



宇治橋断碑。
日本一古い石碑です。
参観者がいたので扉が開いており、普段は見ることができない中を見ることができました。(って言っても普段でも一人200円払うと中を見せてもらえるんですがね。)



私の干支の守り菩薩。
長女が「高校の時に、如来は悟りをひらいているが菩薩はまだ悟りをひらいていないって聞いた。」っと言っていました。
帰宅して調べると確かにその通りのようです。
如来は悟りをひらいた人で仏ですが、菩薩は悟りをひらこうと修行中の人なんだそうです。
仏さんとは悟りをひらいた人のことで、菩薩は未だ悟りをひらいていないので正しくは仏ではないようです。
でも一般的には両方とも「仏さん」と呼ばれていますね。
仏像の菩薩と如来の見分け方は、菩薩が頭に飾り物を被っているのに対して、如来は奈良の大仏のようにボツボツした頭をしています。
地蔵菩薩だけは頭に何もなく坊主頭ですが、それは地蔵菩薩は生涯にわたり如来にはならず、菩薩のままで世の人々を救いたいということだからだそうです。
だから地蔵は最も庶民的な仏像なのでしょうね。



説明。



旧宇治橋の三の間。
観光客が、「あれ、ここだけ橋の色が違う?」って話していました。
違う橋ですから色が違って当たり前なのです。



橋姫神社へ。
普段はがらんとしている橋姫神社なのに、境内でフリーマーケットが開かれていました。
そのフリーマーケットの出展者の一人が私の知人でした。
かつて、様々な活動を共にしてきた仲間です。
ずいぶんご無沙汰していますが、元気そうなので嬉しかったです。



橋姫神社境内の詩碑。
写真を写していると、知人が「さすがよく知っているなあ。」と言うので「ん?」と思って「どういうこと?」って尋ねると、「『やません』の作品だ」との説明を受けました。
「やません」というと頭に浮かぶのは、暗黒の時代に右翼の凶刃に倒れた「山本宣治」。
でも山本宣治ではなく違う名前だったが、教えてもらった名前を結局覚えられなかった。
誰だったかなあ・・・・。



平等院表参道へ。
長女が土産を買う間、店内を眺めます。



帰路へ。
1958年のメーデーの写真が貼ってあるのを見つけました。
キリリとした女性にピントが合っている感じです。



社会党の浅沼稲次郎氏の写真も。
彼も右翼の凶刃に倒れました。
浅沼氏を私は直接知りませんが、でも社会党委員長時代の成田知己氏とは握手したことがあります。
成田氏がとっても暖かい手だったことが印象に残っています。
日本社会党。
今はもう、その政党は存在しませんが、私が高校生の時から大好きだった党です。
高校を卒業してからの私の行動は、その社会党や総評に大きな影響を受けてきました。
今日、浅沼氏の写真を見て、過去の様々なことが脳裏をよぎりました。
そんな私ですが、残念ながら今はもう積極的に支持しようと思える政党は存在しません。


5連休の4日目が終わろうとしています。
あ〜あ。
でも、連休が終わったらまた頑張ろうっと!


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