今日は、昼頃から山背古道を北の起点から歩き始め、古道全線を歩破しました。
本日のウオーキング歩数、53,361歩。(うちエクササイズウオーク37,671歩)、消費カロリー1,915kcal。
2009年5月9日(土)
JR奈良線に乗り城陽駅で下車。
城陽は古墳の街ですが、そんな雰囲気が濃く漂う駅前の風景。
駅前で山背古道のマークを発見。
山背古道の北の起点は水度(みと)神社ですが、JRで来る人にとっては実質的にはここが起点。
だからここに山背古道のマークがあるのかもしれません。
水度(みと)神社参道へ。
夜叉ばあさんにご挨拶。
夜叉ばあさんの木の説明。
水度(みと)神社境内へ。
水度神社の説明。
境内の風景。
何と!
三本葉の松がここにもありました。
それもかなりの大木。
幹周りは2.7m。
三本葉。
トトロと出会えそうな雰囲気の道を快適に歩きます。
ただ、かなり気温が上がり顔から滴り落ちるほどの量の汗が出てきました。
自転車でだと山背古道最大の難所。
狭くて急傾斜の階段を自転車を担いで上り下りしなくてはならない場所。
重量が10kgを大きく超えるモスラ号で来る時には、季節に関係なくいつも汗だくになる場所。
でも今日はウオークなので何の問題もありません。
城陽総合運動公園へ。
長さが100mを越えるロング滑り台の下を通ります。
運動公園のベンチで昼食。
自宅から持参した1.5のカップ麺に水筒のお湯を注いでできあがり。
メニューは以上。
昼食を得てウオーク再開。
これ以降は帰路で駅に着くまで一度も座らない計画。
ひたすら歩こうと心に決めています。
青少年野外活動センターを通過。
山背古道は活動センターの中を通っています。
森山遺跡着。
遺跡跡は公園になっています。
竪穴住居跡。
当時の暮らしぶりを描いたプレート。
JR奈良線長池駅前へ。
駅前には、不思議な言い伝えがある「長池」を模した池があります。
長池駅舎。
順調に歩を進めます。
大蓮寺へ到着。
甘藷元祖の碑
日本での甘藷の元祖の地は、ここ城陽なのです。
説明板。
大蓮寺をあとにして二本松の碑へ。
京都と奈良の中間のここ長池の地で、奈良から来た旅人と京都から来た旅人が一本ずつ松を植え、その二本が重なって大きな松になったと伝えられます。
梅林の中を、すくすく育つ梅の実を見ながら速歩。
路地から路地へ。
目の前の風景が次々に変わります。
その素晴らしさに、何度来ても感嘆する場所。
野菜の無人販売所。
新鮮なものが安かったので、スナップえんどうと玉ねぎを買いました。
玉ねぎは100円なのに1袋に新玉ねぎが5個も入っていました。
蛇足ですが。
スナックえんどうとスナップえんどうは、同じものを指します。
1970年代に米国から輸入された豆で正式名称は「スナップえんどう」。
販売メーカーによっては商品名を「スナックえんどう」とする業者も出てきたため、スナップとスナックの両方の呼び名が存在するようになりました。
それを受け、1983年に農林水産相が「スナップえんどうに統一するように」と決めたようですが、未だに「スナックえんどう」という呼び方も存在しています。
今日は山背古道の地図は持参していません。
これまでに何回か来た時の記憶と、そして路面のプレートだけが頼り。
それでも道を間違えることなく進みます。
青谷にある大きな道しるべ。
素晴らしい天気。
高神社前通過。
城陽をあとにしてもう井手町に入ったことになります。
「へびだにがわ」に沿って緩やかな傾斜を上がります。
この辺りもトトロと出会えそうな雰囲気が漂います。
急な坂にさしかかりました。
汗だくになって上り坂を上ります。
亀甲竹が。
大きな池がありました。
これまで来た時にはこれほど大きい池だとは気づきませんでした。
池の向こうに見える建物は山城勤労者福祉会館。
「何だなんだ」って思ったら私でした。^_^;
出発前に自宅で帽子を見つけられなかったので、途中に見つけた100均の店でこの帽子を買いました。
100円で帽子が買えるとは驚き。
それにしても・・・・。
こうして見ると、私も結構「不審者」ですな。
ドモドモ。
でも夏季は紫外線カットのため、多くの場合こんな服装です。
帽子をかぶりサングラスをかけ首にはタオルを巻きつけ、更には帽子の下にタオルを頭からかぶっていることも。
でもそれらは全て紫外線カットのための苦肉の策なのです。
今時分から夏季にかけての強烈な紫外線は、日焼け止めクリームが汗で流れてしまうので完全に防げないのです。
もう田植えの準備が終わっています。
山背古道で最も狭い場所。
山々の新緑がとっても目に優しい・・・・。
小野小町塚。
ここが小野小町の実際の墓所だと言われたりもします。
実際のところはどうなんでしょうか。
塚の説明。
玉津岡神社方面。
今日は寄りません。
だって上り坂はしんどいんだも〜ん。^_^;
周辺のイラスト地図。
宮本水車跡。
水量が豊富なので、設備さえあれば今でも水車は回せる雰囲気。
水車跡の説明。
ここの田んぼは、もう田植えが終わっていました。
旧址。
以前に址を探したんですがなにも見つかりませんでした。
今日は通過します。
のどかな風景を眺めながらのウオーク。
水のない川を遡ります。
この辺りには古道の案内は皆無。
初めての人は地図がないと確実に道が分からなく場所です。
旧山城町(今では木津川市)に入りました。
花がある風景もとっても素敵。
花をズーム。
蟹満寺へ。
前回来た時にも工事中でしたが、その工事は今日もまだ続いていました。
蟹の縁起の蟹満寺。
山背古道のコースでも特に、旧山城町のこの辺りが最も風情ある風景を楽しむことができると私は感じます。
天井川の下を通るという珍しいトンネル。
JR奈良線のものです。
ちなみに。
JR奈良線は、「奈良線」という名前が付きながらなぜか駅は全て京都府下なのです。
川を生活の中で積極的に利用する人たち。
昔も今も変わらない風景。
でも水が汚れてしまったら、こんな風景もなくなってしまうはず。
今に伝わる「蟹の恩返し」の話。
棚倉の筍卸売市場前を通過。
棚倉駅前へ到着。
駅前にある蟹満寺の言い伝えに関連した蟹のモニュメント。
何度これを見ても違和感を覚えます。
蟹満寺に伝わる話に出てくる蟹は沢ガニのはず。
でもこの蟹はどう見ても「鍋ものにしたくなる。」と思えるような海で獲れるもの。
春日神社前通過。
この神社前の歩道には、ポツンと1個だけ山背古道の案内プレートが埋め込まれています。
この周辺には他にプレートは全くありません。
やはり地図がないと道を間違うのがほぼ確実な地点。
カエデの新緑。
カエデの葉も色がずいぶん濃くなってきました。
椿井大塚山古墳の石碑。
ドンドン南進。
縁起がよさそうな瓦を発見。
山背古道の魅力の一つがこうした古い様式の建物を見ること。
泉橋寺へ。
泉橋寺と「山城大仏」の説明。
応仁の乱で被災した石地蔵ですが、今もなお私達の心を癒してくださいます。
この角度で見ると、頭部が損傷し修復されたということがよく分かります。
今の頭部は、損傷後200年近く経った1690年に補修され今日に至ります。
木津川右岸堤防から見る山城大仏。
泉大橋を渡ります。
木津川の流れ。
三川合流地点である八幡の背割堤から、およそ22km上流の位置の風景です。
自転車道の南の起点に到着。
ここを右折し、少しの区間だけ自転車道に沿って歩きます。
正覚寺前通過。
この辺りから、路面に埋め込まれたプレートはぐんと少なくなります。
この案内版を見ていると山背古道は簡単に歩けるように思えますが何の何の。
ここから先は道を探すのがかなり困難。
ここまではほぼ正確に歩いてきました、この先で大きく道を間違ってしまいました。(>_<)
道が完全に分からなくなりました。
トボトボと歩きます。
ただ方向だけはどちらかは分かっているので、古道方向と思われる位置を目指します。
何とか古道に戻ることができました。
大勢の石地蔵様が。
路面に埋め込まれたプレート。
これだけが頼りなんですが数は極めて少なく、道が分かれているところでも多くの場所では見当たりません。
これを見る限りでは、道の分かりにくさはやはり全く感じられませんが・・・。
岡田国神社前通過。
水道施設がある池のほとりが古道なんですが、工事中で通れません。
交通量が多い国道から池を眺めます。
陽がかなり傾いてきました。
日没間近。
もう街路灯が点灯し始めました。
終点間近のこの辺りで再び道を間違ってしまいました。
集落のはずれに終点の池があるはず。
探しますがなかなか見つからず行ったり来たり。
やっと終点を発見。
山背古道の南の起点についに到着。
45,000歩余りで山背古道全線を歩ききりました。
池の近くから国道方向に向かう道がありました。
その道の入口には「車は通り抜けできません」との表示が。
わざわざそう書かれているということは、歩行者なら通り抜けられるはずと判断。
迷うことなくその道に入ります。
進行方向左側のずいぶん上にとっても大きなホームセンターがありますが、かなたのその店を眺めながら速歩。
足がかなり疲れてきましたが頑張らなくては!
とうとう、どこかに抜けられるはずの場所に到着。
と、ところが何と!着いた場所の先には高架道路のコンクリート製の基礎部分が。
ということは道は行き止まり。(-_-;)
ど、どういうことなんだろう?!?
ここに来るまでの道の両側は、左は急傾斜の斜面で、右側はJRの線路がありフェンスで完全に道と遮断されています。
だからこの道は道の両側にとっては何の使い道もないもの。
だから、幹線道路へ出るための歩行者用の道と信じて疑っていなかったのに。(>_<)
疲れた足取りで今来た道を引き返します。
こんな立派な舗装道路なのに存在価値は完全に皆無。
これが、かの悪名高い「無駄な道路」なんでしょうか。
それにしてもひど過ぎます。
何で車止めがあるの?
行き止まりなら人も通れないようにしておけっての。
ったく。
何でこんな立派な道路が何の意味もなく存在するのかが、どう考えても解せない。
行き止まりの道路の入り口まで戻ってきました。
「この先、車両は通り抜けはできません。」と書かれているだけ。
この表示を初めて見た人は、「なら歩行者は通れるんだろうな。」と考えるのが普通。
「私有地?」とも考えたんですが、それなら絶対に封鎖してあるはず。
事故などがあって責任を取るのは個人としては絶対に嫌なはずなので。
そもそも、誰がこの案内標識を立てたのか。
こんな道路を造った責任回避のためあえてこの道路の管理者名が書かれていないようにさえ思えてきます。
再び、山背古道の南の起点へ。
さっきここに来た時は明るかったのに、もう暗くなっています。
1km近くも無駄足を踏んだ模様。
無駄な道路(と思われる)道、恐るべし!
数km程も歩いたでしょうか。
平城山(ならやま)駅に到着。
帰路に。
山背古道。
旧街道ではなく、まさに旧道ですがロケーションが抜群。
何度訪れても素敵です。
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