今日は、入院している親戚を見舞うため午後から病院へ。
でも、40分程かかるリハビリが始まったばかりだったため、とりあえずの見舞いは諦めウオークへ。
ウオークを終えた帰路で再び病院に寄り見舞いを果たしました。
ウオークでは黄檗山を目的地としました。

本日のウオーク歩数、33,029歩。(うちエクササイズウオーク14,083歩)、消費カロリー1,080kcal。


2009年5月31日(日)





病院をあとにして槇島地区を目指します。
そして、とっても懐かしい場所に来ました。
かつての「政治の季節」の渦中で青春時代を過ごした私。
当時の決して数少なくはなかった若者と同じく、私も政治に目覚めて活発に活動していました。
街頭での激しい活動を終えた後の総括(という名の飲み会)で、さんざん利用した店がここなのです。
当時はとっても可愛い女の子が店にいましたが、彼女は今はどうしているのだろう・・・・・か。
おそろく・、と言うか確実におばちゃんになっているんだろうな。
ふ~う。



宇治川の水がコンコンと湧き出している場所。
私が中学生の時から変わらない風景ですが、宇治川の水が湧き出しているとということは宇治川が大増水したら堤防がこの位置で切れる可能性もあるのかな?



もうきれいなアジサイの花が満開近くになっていました。
昨夜の雨でグンと開花が進んだようです。



ズーム。



槙島城跡の石碑。
槙島城はその名前をほとんど知られていませんが、室町幕府第15代将軍足利義昭tが居を移した場所。
義昭を追って、豊臣秀吉、明智光秀、柴田勝家らは宇治川下流の五ヶ庄から出陣し槙島城を攻撃し、義昭は河内へ敗走します。
今でも名を知られる武将が組んで攻撃した城なのに歴史的にはほとんど知られていない、いわば「幻の城」なのです。



槙島城の説明。



槙島城跡の石碑がある児童公園をあとにして北上。
民家の玄関先にとってもきれいな花が咲いていました。



槇島のとっても素敵な風景。



UFO?
もちろん違います。
宇治川左岸堤防付近から京滋(けいじ)バイパスの側道にあがる自転車・歩行者専用ループ橋です。
何度も見たことはありますが、通るのは今日が初めて。
どんな感じなのか少しわくわくします。



とってもいい感じのループ橋でした。
京滋(けいじ)バイパスの側道へ。



側道の上から見る宇治川下流。
宇治川を渡る橋は宇治橋の下流では長らく隠元橋でしたが、京滋(けいじ)バイパスの開通後にはこの側道が宇治橋と隠元橋の間で宇治川を渡る橋となりました。



側道の上から見る宇治東部の山。
あの山は黄檗断層の活動でできた山ですが、黄檗断層の活動の記録は全くありません。
と言うことは。
太古の昔から活発に活動してきた模様の黄檗断層ですが、活動記録が残っていないということは最後の活動からかなりの年月が経っているということ。
ゆえに、黄檗断層が原因でいつ大地震が起きても全く不思議ではないということを、京大防災研究所の先生から聞いたことを思い出しました。



側道を渡って北上し黄檗に到着。
黄檗山万福寺「青少年文化研修道場」の建物を見上げます。



黄檗山万福寺境内へ。
天王殿。



天王殿の弥勒菩薩(布袋尊)坐像。



異国風情が漂う境内の回廊。



魚梆 (かいぱん)。
修行の始まりや終わりを知らせるために叩くもので、今で言うとチャイムのようなもの。
子どもたちには大人気の「玉をくわえているお魚さん」です。
でも玉をくわえているのではなく、煩悩を泡で体の外に出している最中の様子とされます。



「魚ちゃん」をズーム。
かなりの迫力。



中華線香。
何だか花火のようにも見えます。



香炉。
中華線香はここにお供えします。



法堂(はっとう)。



新緑が美しい境内。
写真左下の石塔は、日本が中国を侵略した結果 日中が激しい戦火を交えて多くの犠牲を出したことに対する慰霊碑。
あの戦争で私達は、戦争のあまりにも大きく悲惨なことを芯の髄まで知り「戦争放棄」を全世界に高らかに宣言しました。
それが日本国憲法第9条。



境内はかなり広いです。
ゆえに、歩くのがとっても楽しいんです。



何となく、興聖寺の山門を連想するような「風景。



蓮池が。
蓮の花が咲き出せば、きっととってもきれいなことなんでしょうね。



境内を一周し天王殿まで戻ってきました。



境内をあとに。



有料ゾーンをあとにして無料ゾーンへ。
無料ゾーンでも万福寺の素晴らしい風景の一端を楽しむことができます。



「山門を 出れば日本で 茶摘歌」の石碑。
菊舎句碑です。



蓮(水連)の花の盛りの時期には素晴らしい風景になると思われる池。



菖蒲系の花が。



花をズーム。



最後の山門をくぐり境内の外へ。



万福寺をあとに。



龍眼井。
隠元禅師は万福寺を龍にたとえ、この井戸は龍の眼としました。



駐車場に面する「松萬院」。



普茶料理のお店。
何と!
どうやらここには、私の冬山登山の拠点であった奈良県吉野郡天川村から運ばれてきた「亀石」がある模様。



天川村からやって来た「亀石」。
間違いなく「亀石」です。



素晴らしい風景。



「守本尊・干支の寺」がありました。
お参りすることに。



新しい感じの庭園。
庭園をめぐっていると、多くの女性の楽しそうな声が聞こえてきました。



私の守本尊を発見。



帰路へ。
京阪電車宇治線「三室戸駅」横通過。



ゴテチアの花の美しい群落。



宇治橋。



親戚のお見舞いに病院へ。
その後、JR奈良線・宇治駅へ着きました。
宇治駅の北側のこちら側は、ほとんど利用したことがありません。



宇治駅南側へ。



宇治橋通りにある病院の建物。
とっても素敵です。



宇治橋西詰めへ。
紫式部象が夕陽に照らされていました。



宇治川左岸を目指します。



宇治川先陣争いの碑。
今日は とってもきれいに見えていました。



喜撰橋下の鵜飼船。



石川五右衛門が塔石を盗んだとされる、塔の島の十三重の塔。
何度見てみても、石川五右衛門が盗んだとされる石がどれだったのかが分かりません。



塔の島から見る観流橋下のの流れ。
宇治発電所からの水です。



宇治川右岸へ。



匂宮と浮き舟の像が見えてきました。



宇治川から、宇治神社や宇治上神社に向かう位置にある山門。



帰路に。
「その他の危険」の標識を眺めます。
これは前方にある傾いた松の木に対する注意喚起の標識。
でも、京都市の花山には、これと同じ標識があるのにその標識の先には危険物など周辺には全く見当たりません。
場所によっては「火山の噴火」など思わぬ危険があることを示すこの標識ですが、全国的に見ても極めて数少ない道路標識。
宇治のこの標識は納得できますが、花山にある標識は「おbakeに気をつけて」かなとなどとさえ思えてきます。
おそらく、花山の「その他の危険」の標識の先には危険な何かがかつてあったものの、その危険な物がなくなった今でも標識が撤去されずに残されている。
そんなことなんでしょうね。




ひたすら歩く週末。
自分自身にとっては極めて満足な時間が流れます。
自転車もいいけどウオークも捨てがたいです。


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